◆変化と馴染み/A-47 ― 2014年07月12日 11時23分58秒
まだまだまだ、このlogの更新は遅れています。
朝と夜に書こうとしているのですが、このところ汗だくで帰って来て、すぐにシャワーをあびてしまうからか、どうしても夜は気が抜けてしまいがちで、なかなか追いつくことができません。
昨日のlogを読み返して、ああ、また似たような話をしているなぁと感じました。おそらく表現が変わっただけで、ほぼ同様の話をもうこのlogでは相当回数繰り返していると思います。
もちろん、昨日も書いている時に「あーなんか違うと思ったけどやっぱりにてるな」と思ったのですが、抽象的な表現を優先するのだから当たり前と言えば当たり前だなとも思っていますし、自分が違うと思っていれば、ひとまず書いてしまうことにしています。
重要なのは、どうして違うと思ったのかであって、それを確認するには、やはり頭の中から一度取り出して、書いてみるのが1番わかりやすいのです。その証拠に、書いている途中で気づいて、書く事をやめたことも何度かあります。
そういった自分の思考の細かな変化を知っていると、日々の繰り返しのなかで平に見えて来るものも、同じように少しずつ変わっていっているのだなということが、わかります。
そして多分今日のこの話も、既にどこかで書いた気がしています。
逆に考えると、どんなに変わったと思っても、ちっとも変わっていないのかもしれません。
あるいは、変わっているのは自分ではなく、自分が周囲を、自分に馴染むように変化させているだけなのかもしれません。
朝と夜に書こうとしているのですが、このところ汗だくで帰って来て、すぐにシャワーをあびてしまうからか、どうしても夜は気が抜けてしまいがちで、なかなか追いつくことができません。
昨日のlogを読み返して、ああ、また似たような話をしているなぁと感じました。おそらく表現が変わっただけで、ほぼ同様の話をもうこのlogでは相当回数繰り返していると思います。
もちろん、昨日も書いている時に「あーなんか違うと思ったけどやっぱりにてるな」と思ったのですが、抽象的な表現を優先するのだから当たり前と言えば当たり前だなとも思っていますし、自分が違うと思っていれば、ひとまず書いてしまうことにしています。
重要なのは、どうして違うと思ったのかであって、それを確認するには、やはり頭の中から一度取り出して、書いてみるのが1番わかりやすいのです。その証拠に、書いている途中で気づいて、書く事をやめたことも何度かあります。
そういった自分の思考の細かな変化を知っていると、日々の繰り返しのなかで平に見えて来るものも、同じように少しずつ変わっていっているのだなということが、わかります。
そして多分今日のこの話も、既にどこかで書いた気がしています。
逆に考えると、どんなに変わったと思っても、ちっとも変わっていないのかもしれません。
あるいは、変わっているのは自分ではなく、自分が周囲を、自分に馴染むように変化させているだけなのかもしれません。
◆経験と制御/A-46 ― 2014年07月11日 12時28分54秒
まだまだまだまだ、このlogの更新は遅れています。
今日は昨日の続きのような話を書こうかと思います。
昨日の喧嘩の原因は、僕の心配が発端になっていたのですが、心配については先日掘り下げたはずなので、今日は知ること、経験のようなものについて考えてみようと思います。
誰でも、何かを知る事の喜びというものを味わった事があると思います。同時に知る事の恐ろしさも同様に味わったことがあると思います。それらの積み重ねを自身の経験と呼んで、それらを基準に考え行動しているのだと思います。
このように言うと、まるで自分がそれを全てコントロールしてきたように聞こえますが、これは逆に言う事もできて、それらを基準として考えや行動が制限されてしまっている、とも受け取れるわけです。
どちらが良い悪い、という話ではありません。自分がコントロールできていると考えることができる事と、できないと考えている事のどちらも存在しているということです。つまりはいつものバランスの話です。
この事について、僕が最近よく思うのは、人は自分が思っているほど自分をコントロールできてはいないし、同時に、コントロールできないと思ってることは、案外そうでもなかったりする、ということです。
僕は、物心がついたばかりの頃に、強く不安になるような出来事を経験しました。人の怖さを知りました。その経験を基盤に基準にして、自分の思考を重ねて来たので、僕の基本的な思考は、その多くが怖さに対する怯えに捉われています。それは現在も不明瞭でも抹消することもできないので、変わってはいないのだと思います。
ですが、それに捉われ続けなければならないようなルールは別にないのです。誰かに責められるいわれもなければ、自分がそんな自分を責める必要もどこにもないのです。経験は過去の出来事であって、それ以上でもそれ以下でもないということです。つまりは丸ごと、受け止めるしかないわけです。ですからきっと制限はいつでもそこにあってコントロールできない時もありますし、逆にそれごとコントロールしてしまおうと思えばそれもできる時もあるわけです。
ちょっと抽象的で難し過ぎるかもしれませんが「リンゴがリンゴであることに自信をもったり否定したりしてもしょうがない」といったようなことでしょうか。
書いていて、僕も上手く説明できているか自信がなくなってきたので、今日はこの辺で終わりにしておきます。
今日は昨日の続きのような話を書こうかと思います。
昨日の喧嘩の原因は、僕の心配が発端になっていたのですが、心配については先日掘り下げたはずなので、今日は知ること、経験のようなものについて考えてみようと思います。
誰でも、何かを知る事の喜びというものを味わった事があると思います。同時に知る事の恐ろしさも同様に味わったことがあると思います。それらの積み重ねを自身の経験と呼んで、それらを基準に考え行動しているのだと思います。
このように言うと、まるで自分がそれを全てコントロールしてきたように聞こえますが、これは逆に言う事もできて、それらを基準として考えや行動が制限されてしまっている、とも受け取れるわけです。
どちらが良い悪い、という話ではありません。自分がコントロールできていると考えることができる事と、できないと考えている事のどちらも存在しているということです。つまりはいつものバランスの話です。
この事について、僕が最近よく思うのは、人は自分が思っているほど自分をコントロールできてはいないし、同時に、コントロールできないと思ってることは、案外そうでもなかったりする、ということです。
僕は、物心がついたばかりの頃に、強く不安になるような出来事を経験しました。人の怖さを知りました。その経験を基盤に基準にして、自分の思考を重ねて来たので、僕の基本的な思考は、その多くが怖さに対する怯えに捉われています。それは現在も不明瞭でも抹消することもできないので、変わってはいないのだと思います。
ですが、それに捉われ続けなければならないようなルールは別にないのです。誰かに責められるいわれもなければ、自分がそんな自分を責める必要もどこにもないのです。経験は過去の出来事であって、それ以上でもそれ以下でもないということです。つまりは丸ごと、受け止めるしかないわけです。ですからきっと制限はいつでもそこにあってコントロールできない時もありますし、逆にそれごとコントロールしてしまおうと思えばそれもできる時もあるわけです。
ちょっと抽象的で難し過ぎるかもしれませんが「リンゴがリンゴであることに自信をもったり否定したりしてもしょうがない」といったようなことでしょうか。
書いていて、僕も上手く説明できているか自信がなくなってきたので、今日はこの辺で終わりにしておきます。
◆日常と喧嘩/A-45 ― 2014年07月10日 12時58分19秒
まだまだまだまだ、このlogの更新は遅れています。
今日から2日分ずつ書いて、ゆっくり取り戻そうと思います。
この日は週末に襲来する台風について、色々考えたり話したりしていました。西の方は例年と同じように大変だったようですが、関東は皆さんもすでにご存知の通り、肩すかしをくらったような状況でした。関東沖にやってきた時点で熱帯低気圧に変わったので、僕が外に出た時にはすでに雨に洗われた綺麗な空が広がっていました。
今のマンションに引っ越してからは、雨の音などほどんど聞こえないので、今回も僕が気づいていないだけですごいことになっているのかと思っていたのですが、そんなことはなかったようです。被害にあった方達からしたら不謹慎ですが、大雨や台風の時などにあえて外に出たりするのが僕は好きなので、少々期待はずれでした。他にも色々、非日常を期待していたのですが、そう都合良くお天気様は僕の言う事を聞いてはくれませんでした。
おかげで、いつもの日常だった訳ですが、ある意味、ここ最近の僕はずっと非日常の中にいるような状態にあるので、どこかバランスがとれているのかもしれません。
そういえば、この日に、久しぶりに喧嘩のようなものをしました。とは言っても、笑いながら話していたわけですが、意見の対立からお互いの妥協点を探るということを喧嘩というのであれば、あれは喧嘩でした。
幸い、その日のうちに、どうするかを決めれたので、喧嘩は一先ず終わりました。ですが、意見の対立と考えるなら、それはずっと続いてもいるわけです。
今日から2日分ずつ書いて、ゆっくり取り戻そうと思います。
この日は週末に襲来する台風について、色々考えたり話したりしていました。西の方は例年と同じように大変だったようですが、関東は皆さんもすでにご存知の通り、肩すかしをくらったような状況でした。関東沖にやってきた時点で熱帯低気圧に変わったので、僕が外に出た時にはすでに雨に洗われた綺麗な空が広がっていました。
今のマンションに引っ越してからは、雨の音などほどんど聞こえないので、今回も僕が気づいていないだけですごいことになっているのかと思っていたのですが、そんなことはなかったようです。被害にあった方達からしたら不謹慎ですが、大雨や台風の時などにあえて外に出たりするのが僕は好きなので、少々期待はずれでした。他にも色々、非日常を期待していたのですが、そう都合良くお天気様は僕の言う事を聞いてはくれませんでした。
おかげで、いつもの日常だった訳ですが、ある意味、ここ最近の僕はずっと非日常の中にいるような状態にあるので、どこかバランスがとれているのかもしれません。
そういえば、この日に、久しぶりに喧嘩のようなものをしました。とは言っても、笑いながら話していたわけですが、意見の対立からお互いの妥協点を探るということを喧嘩というのであれば、あれは喧嘩でした。
幸い、その日のうちに、どうするかを決めれたので、喧嘩は一先ず終わりました。ですが、意見の対立と考えるなら、それはずっと続いてもいるわけです。
◆夢と見える能力/A-44 ― 2014年07月09日 09時53分41秒
まだまだまだまだ、このlogの更新は遅れています。
先日1週間ちかくまで間をつめたのですが、またしても遅れが開いてしまいました。やはり、急いで取り戻そうとするのは良くなさそうです。
この日は久しぶりに怖い夢を見ました。
詳細はもう覚えていませんが、正体不明の男に自分が監視されていて、最終的に非常に不吉な着信音でその男から電話がかかってくるのです。そして「逃げられると思うなよ、お前のことは何でも知っているんだ」みたいなことを告げられて、僕が戦慄したところで、目が覚めました。
目覚めるとき、これは夢じゃないか? と、恐ろしさのあまり考えたことを覚えています。それなのに、起きてからしばらくの間、動悸がおさまらずにいました。ほっとはしたものの、思わず家の中を確かめて、監視されていないかと考えてしまったほどです。
このような夢などを見たあと、たまに考えるのですが、想像力などの違いで、夢の内容もやはり変わって来るものなのでしょうか。そもそも想像力というものが、単純にデジタルな基準で能力を測れるものではありませんので、その答えは脳化学がもう少し進歩しないと明らかにはなりそうにないですが、個人差は間違いなくあるのではないかと、僕は思っています。
むしろ、想像力を養うきっかけとして、夢はいい材料になると、考えています。ただ同時に、想像力が豊かであるほうが、夢や不安に捉われやすいだろうとも、考えています。 「私は幽霊が見える」という方も、ようするにそういう事だと僕は思っています。そんなものはいない、とバカにする気があるわけではなく、実在しようがしまいが「見える」と言えるだけの想像ができることが、ある種の能力と危険性を示しているという話です。
先日1週間ちかくまで間をつめたのですが、またしても遅れが開いてしまいました。やはり、急いで取り戻そうとするのは良くなさそうです。
この日は久しぶりに怖い夢を見ました。
詳細はもう覚えていませんが、正体不明の男に自分が監視されていて、最終的に非常に不吉な着信音でその男から電話がかかってくるのです。そして「逃げられると思うなよ、お前のことは何でも知っているんだ」みたいなことを告げられて、僕が戦慄したところで、目が覚めました。
目覚めるとき、これは夢じゃないか? と、恐ろしさのあまり考えたことを覚えています。それなのに、起きてからしばらくの間、動悸がおさまらずにいました。ほっとはしたものの、思わず家の中を確かめて、監視されていないかと考えてしまったほどです。
このような夢などを見たあと、たまに考えるのですが、想像力などの違いで、夢の内容もやはり変わって来るものなのでしょうか。そもそも想像力というものが、単純にデジタルな基準で能力を測れるものではありませんので、その答えは脳化学がもう少し進歩しないと明らかにはなりそうにないですが、個人差は間違いなくあるのではないかと、僕は思っています。
むしろ、想像力を養うきっかけとして、夢はいい材料になると、考えています。ただ同時に、想像力が豊かであるほうが、夢や不安に捉われやすいだろうとも、考えています。 「私は幽霊が見える」という方も、ようするにそういう事だと僕は思っています。そんなものはいない、とバカにする気があるわけではなく、実在しようがしまいが「見える」と言えるだけの想像ができることが、ある種の能力と危険性を示しているという話です。
◆把握と余裕/A-43 ― 2014年07月08日 12時19分04秒
まだまだ、このlogの更新は遅れています。
ですが、ようやく当日の出来事を思い出せる程度には追いついてきました。
この日は、地元の県立公園でF原さんとランチをして、ブーメランを投げたり、水鉄砲で打たれたり、木に引っかかってしまったブーメランを木の枝の槍で落としたりして、久しぶりに外で遊んでまいりました。
帰宅してからは、かき氷をつくったりしました。白玉を茹でて、小豆を用意して、練乳も用意して、宇治金時と苺ミルクなかき氷を作りました。まだ、かき氷を食べるには少々涼しいぐらいだったかもしれませんが、楽しく涼しい時間でした。
ただ、準備の時に少々問題がありました。かき氷機用の製氷器が、引っ越しのさいに紛失してしまっていたのです。先日もアイスクリームメーカを使おうとした時に、大事なパーツが欠損していることに気づきました。
時間のない中でろくに確認もできないままの荷造りでしたので、仕方のないことですが、他にも色んなものを失くしていそうです。それら1つ1つにいちいち感傷する気はないですが、失くしたものを取り戻すのは、新しく手にする時よりも、難しいことのほうが多いので、どうしても諦めることが多くなります。
代替がきくようできかない、違うようで似ている、どちらであっても、以前と同じように、とはいかないものです。僕はその変化を、極力楽しみたいと考えていますが、自分が何を得て何を失っているかを把握していないと、楽しめる程の余裕が持てないのだなという事を、最近痛感しています。
悲しい話ではありません。どちらかといえば切ないと言えるでしょうか。ありのままに受け止めたいものです。
ちなみにかき氷の氷は、プロテインのシェーカーでなんとかしました。思いのほか、上手くいったのです。
ですが、ようやく当日の出来事を思い出せる程度には追いついてきました。
この日は、地元の県立公園でF原さんとランチをして、ブーメランを投げたり、水鉄砲で打たれたり、木に引っかかってしまったブーメランを木の枝の槍で落としたりして、久しぶりに外で遊んでまいりました。
帰宅してからは、かき氷をつくったりしました。白玉を茹でて、小豆を用意して、練乳も用意して、宇治金時と苺ミルクなかき氷を作りました。まだ、かき氷を食べるには少々涼しいぐらいだったかもしれませんが、楽しく涼しい時間でした。
ただ、準備の時に少々問題がありました。かき氷機用の製氷器が、引っ越しのさいに紛失してしまっていたのです。先日もアイスクリームメーカを使おうとした時に、大事なパーツが欠損していることに気づきました。
時間のない中でろくに確認もできないままの荷造りでしたので、仕方のないことですが、他にも色んなものを失くしていそうです。それら1つ1つにいちいち感傷する気はないですが、失くしたものを取り戻すのは、新しく手にする時よりも、難しいことのほうが多いので、どうしても諦めることが多くなります。
代替がきくようできかない、違うようで似ている、どちらであっても、以前と同じように、とはいかないものです。僕はその変化を、極力楽しみたいと考えていますが、自分が何を得て何を失っているかを把握していないと、楽しめる程の余裕が持てないのだなという事を、最近痛感しています。
悲しい話ではありません。どちらかといえば切ないと言えるでしょうか。ありのままに受け止めたいものです。
ちなみにかき氷の氷は、プロテインのシェーカーでなんとかしました。思いのほか、上手くいったのです。
◆夏の大三角と視線/A-42 ― 2014年07月07日 20時29分29秒
まだまだまだ、このlogの更新は遅れています。
昨日は七夕から話を始めたのに、星のほの字もない内容になってしまいました。
といっても、僕は星に詳しいわけでも、織り姫と彦星について詳しいわけでもありませんので、当たり前なのですが、今年は職場の業務として、短冊に願いごと書きました。ネコ科の動物について、あるお願いをしておきました。
ちなみに、関東はおおむね曇った夜空だったと思われます。
夏の大三角な遠距離恋愛はともかく、星を見ることは好きなので、それをきっかけにある人を誘って、夜の公園にでも行こうかと考えたのですが、残念ながら色々と無理がありました。冬か来年まではおあずけとなりそうです。
と、書いていて気づいたのですが、最近あまり星を見ていないような気がします。梅雨の時期なので当たり前といえば当たり前ですが、自転車に乗った時も上を見上げていないような気がします。まぁ、去年事故を起こしたばかりなので、余所見運転はダメ絶対に決まっているのですが、それにしても、と思いました。
なぜそう感じるのか、と考えてみましたが、おそらく目の前ばかりを今は見ているのだと思います。見ていたいと、見逃したく無いと思う対象があるのです。
それが余所見にならないように注意はしていますが、まだしばらくは続きそうですし、ずっと続くようにとも、それこそ願っています。
願う、というよりは、そう在りたいというべきですが、最近の僕の願いは多くの場合そうなので、結局は願いとして、意味が通じるかなとも考えています。
来年の今頃の僕の視線がどうなっているのか、今から楽しみです。
昨日は七夕から話を始めたのに、星のほの字もない内容になってしまいました。
といっても、僕は星に詳しいわけでも、織り姫と彦星について詳しいわけでもありませんので、当たり前なのですが、今年は職場の業務として、短冊に願いごと書きました。ネコ科の動物について、あるお願いをしておきました。
ちなみに、関東はおおむね曇った夜空だったと思われます。
夏の大三角な遠距離恋愛はともかく、星を見ることは好きなので、それをきっかけにある人を誘って、夜の公園にでも行こうかと考えたのですが、残念ながら色々と無理がありました。冬か来年まではおあずけとなりそうです。
と、書いていて気づいたのですが、最近あまり星を見ていないような気がします。梅雨の時期なので当たり前といえば当たり前ですが、自転車に乗った時も上を見上げていないような気がします。まぁ、去年事故を起こしたばかりなので、余所見運転はダメ絶対に決まっているのですが、それにしても、と思いました。
なぜそう感じるのか、と考えてみましたが、おそらく目の前ばかりを今は見ているのだと思います。見ていたいと、見逃したく無いと思う対象があるのです。
それが余所見にならないように注意はしていますが、まだしばらくは続きそうですし、ずっと続くようにとも、それこそ願っています。
願う、というよりは、そう在りたいというべきですが、最近の僕の願いは多くの場合そうなので、結局は願いとして、意味が通じるかなとも考えています。
来年の今頃の僕の視線がどうなっているのか、今から楽しみです。
◆煽りと唱える/A-41 ― 2014年07月06日 20時14分22秒
ようやく更新の遅れが、1週間を切りました。
もう全然日記ではなく、連続での執筆になってしまっていますが、なんとかネタ切れにならずにかけています。
そういえば、七夕の前日にあたる日ですが、平塚の有名な祭りは今日までだったみたいですね。高校生に行ったりするのか話を聞いてみましたが、治安が悪いから、という返答でした。自転車屋に勤めているS本さんも、平塚は治安が悪いと仰っていました。確かに、数年前に祭りを観に行った時も、良い状態だったとは言い難かったですが、一言で片付けられる程になっているとは思ってませんでした。
地元に住んでいる方達も、同様に感じているのでしょうか。僕は最近、最近物騒になったとか、事件が多いとかという話の多くは、マスコミの無駄な報道の多さのせいだろうなと感じているのですが、実際に近くに住む人達が、そういった噂をするようになるには、どの程度の事件がどのくらいの頻度で起きたらそのように評価し始めるのか、少々気になるところです。
ボウリング・フォー・コロバインや華氏911などを見てからというものの、特にそういった状態に対する報道と、それによる事件や犯罪の誘発などの関連性を考えてしまいます。陰謀論がどうとかではなく、個人がどれだけ自分の考えでものを言っているのか、という意味でです。
おそらく、適度に近くで暮らしている人達の感覚と実情はそれほど大きくないとは思うのですが、遠くはともかく、近過ぎる人達にとっては、結構繊細な問題になっているんじゃないかと思うのです。
それこそ、報道をきっかけにして、点かなくていいところまで、火が上がったりしてしまうんじゃないかと、その煽りになるような噂や空気を、コントロールするにはどうしたらいいのだろうかと、そんなことを考えてしまいます。
組織に身を投じて、少しでもウチからコントロールを試みた事がある人なら感じたことがあるはずです、悪い状況だと唱えていること自体が、悪循環の要因の1つなんじゃないかと。
ネタをずらそうずらそうと考えて書いた結果、なんだかとりとめのない内容になってしまった気がします。ですがが、最近では珍しいことなので、このまま残しておきます。
もう全然日記ではなく、連続での執筆になってしまっていますが、なんとかネタ切れにならずにかけています。
そういえば、七夕の前日にあたる日ですが、平塚の有名な祭りは今日までだったみたいですね。高校生に行ったりするのか話を聞いてみましたが、治安が悪いから、という返答でした。自転車屋に勤めているS本さんも、平塚は治安が悪いと仰っていました。確かに、数年前に祭りを観に行った時も、良い状態だったとは言い難かったですが、一言で片付けられる程になっているとは思ってませんでした。
地元に住んでいる方達も、同様に感じているのでしょうか。僕は最近、最近物騒になったとか、事件が多いとかという話の多くは、マスコミの無駄な報道の多さのせいだろうなと感じているのですが、実際に近くに住む人達が、そういった噂をするようになるには、どの程度の事件がどのくらいの頻度で起きたらそのように評価し始めるのか、少々気になるところです。
ボウリング・フォー・コロバインや華氏911などを見てからというものの、特にそういった状態に対する報道と、それによる事件や犯罪の誘発などの関連性を考えてしまいます。陰謀論がどうとかではなく、個人がどれだけ自分の考えでものを言っているのか、という意味でです。
おそらく、適度に近くで暮らしている人達の感覚と実情はそれほど大きくないとは思うのですが、遠くはともかく、近過ぎる人達にとっては、結構繊細な問題になっているんじゃないかと思うのです。
それこそ、報道をきっかけにして、点かなくていいところまで、火が上がったりしてしまうんじゃないかと、その煽りになるような噂や空気を、コントロールするにはどうしたらいいのだろうかと、そんなことを考えてしまいます。
組織に身を投じて、少しでもウチからコントロールを試みた事がある人なら感じたことがあるはずです、悪い状況だと唱えていること自体が、悪循環の要因の1つなんじゃないかと。
ネタをずらそうずらそうと考えて書いた結果、なんだかとりとめのない内容になってしまった気がします。ですがが、最近では珍しいことなので、このまま残しておきます。
◆昼寝と人に見せられない/A-40 ― 2014年07月05日 19時55分46秒
前日の日記にも書きましたが、現在このlogの更新は結構遅れています。
よって、その日のメールのやりとりなどを手がかりに書いています
この日は、昼間から眠りこけてしまいました。久しぶりの昼寝です。
といっても、僕は数分で起きましたが、近くで寝ていた誰かさんは、30分程寝ていました。きっと疲れていたのでしょう。僕はその余波を受けたようなものだと思われます。
このところ、早く起きれていますし、早く眠れてもいます。だらだらと起きて、だらだらと寝てしまっていた2ヶ月前までの半年間と比べると、随分ましになってきました。
が、朝の時間に筋トレを始めてしまったので、そういったところからlogが遅れていたりします。何をするにはまずは身体から、といいますか、僕は近年、精神も肉体の一部だと考えているので、よいlogを残す為にも、筋トレを優先しています。
なので、マッチョになりたいわけではなく、たるんだものを引き締めたいという意味でトレーニングをしております。意味合いとしては、このlogと同様ですね。
職務上、人一倍健康には気をつけなくてはならなかったりしますし、お腹をつままれるのも悲しいので、しばらくは続ける予定です。
トレーニングというほどのものでなく、もう少し自然に普段の生活のなかに組み込めたらいいのですが、なかなかそれは難しそうです。色々しらべてみたりもしていますが、とりあえずほとんどのものが人に見せられるような姿ではないものばかりです。
といっても、元々部屋に1人の時の自分は、あまり人に見せられるものではないのですが。
よって、その日のメールのやりとりなどを手がかりに書いています
この日は、昼間から眠りこけてしまいました。久しぶりの昼寝です。
といっても、僕は数分で起きましたが、近くで寝ていた誰かさんは、30分程寝ていました。きっと疲れていたのでしょう。僕はその余波を受けたようなものだと思われます。
このところ、早く起きれていますし、早く眠れてもいます。だらだらと起きて、だらだらと寝てしまっていた2ヶ月前までの半年間と比べると、随分ましになってきました。
が、朝の時間に筋トレを始めてしまったので、そういったところからlogが遅れていたりします。何をするにはまずは身体から、といいますか、僕は近年、精神も肉体の一部だと考えているので、よいlogを残す為にも、筋トレを優先しています。
なので、マッチョになりたいわけではなく、たるんだものを引き締めたいという意味でトレーニングをしております。意味合いとしては、このlogと同様ですね。
職務上、人一倍健康には気をつけなくてはならなかったりしますし、お腹をつままれるのも悲しいので、しばらくは続ける予定です。
トレーニングというほどのものでなく、もう少し自然に普段の生活のなかに組み込めたらいいのですが、なかなかそれは難しそうです。色々しらべてみたりもしていますが、とりあえずほとんどのものが人に見せられるような姿ではないものばかりです。
といっても、元々部屋に1人の時の自分は、あまり人に見せられるものではないのですが。
◆雲とG/A-39 ― 2014年07月04日 19時37分50秒
前日の日記にも書きましたが、現在このlogの更新はだいぶ遅れています。
よって、その日のメールのやりとりなどを手がかりに書いています
皆さんはクモが苦手でしょうか? クモというのはもちろん雲ではなく蜘蛛です。巣をつくる彼奴のことです。
僕は苦手です。いつから苦手なのかは覚えていませんが、小さいものであろうと触りたくはありません。
ただ、家庭に僕しか男のいない環境で育って来たので、退治はできます。蜘蛛の皆さんには申し訳ないですが、テリトリー内に侵入したものには容赦しません。無駄な殺生をしたいわけではありませんので、どうか近づいてこないことを祈るばかりですが、彼等も生活があるのでしょう、まだまだこの先の人生、彼等との死闘はシャボン玉も凍るような北国で暮らしでもしない限り続く事でしょう。
ちなみに、個人的にはGキブリよりも、蜘蛛のほうが困ります。Gの彼等は飛んだりはするものの、基本的に目で追えない早さでは移動しないので、姿さえ見えれば、勝利は確実なのです。レストランや居酒屋でのバイト時に、慣れてしまったということもありますが、もちろん触りたくも近づいても欲しくは在りませんが、大きな蜘蛛がでるよりかは、いくらかマシです。
そうなのです。蜘蛛の彼等は、たまにとんでもなく素早いものがいるのです。叩いた筈なのにそこにいないという事も多々ありました。そしてなにより恐ろしいのが、卵を抱えている個体です。僕は直接見た事はないのですが、お腹に抱えた卵が破裂すると、比喩表現としても使われるような惨状になってしまうわけです。
一度だけ、卵を抱えているものを退治したことがあるのですが、幸い、その卵は破裂せずに済みました。まだそれほど育っていなかったのかもしれません。
と、ずいぶんと嫌悪する生き物に語ってしまいました。
このところ、愛ばかりを語っているような生活を送っているので、バランスをとる意味で書いてみましたが、もうできれば書きたく無いですね。
よって、その日のメールのやりとりなどを手がかりに書いています
皆さんはクモが苦手でしょうか? クモというのはもちろん雲ではなく蜘蛛です。巣をつくる彼奴のことです。
僕は苦手です。いつから苦手なのかは覚えていませんが、小さいものであろうと触りたくはありません。
ただ、家庭に僕しか男のいない環境で育って来たので、退治はできます。蜘蛛の皆さんには申し訳ないですが、テリトリー内に侵入したものには容赦しません。無駄な殺生をしたいわけではありませんので、どうか近づいてこないことを祈るばかりですが、彼等も生活があるのでしょう、まだまだこの先の人生、彼等との死闘はシャボン玉も凍るような北国で暮らしでもしない限り続く事でしょう。
ちなみに、個人的にはGキブリよりも、蜘蛛のほうが困ります。Gの彼等は飛んだりはするものの、基本的に目で追えない早さでは移動しないので、姿さえ見えれば、勝利は確実なのです。レストランや居酒屋でのバイト時に、慣れてしまったということもありますが、もちろん触りたくも近づいても欲しくは在りませんが、大きな蜘蛛がでるよりかは、いくらかマシです。
そうなのです。蜘蛛の彼等は、たまにとんでもなく素早いものがいるのです。叩いた筈なのにそこにいないという事も多々ありました。そしてなにより恐ろしいのが、卵を抱えている個体です。僕は直接見た事はないのですが、お腹に抱えた卵が破裂すると、比喩表現としても使われるような惨状になってしまうわけです。
一度だけ、卵を抱えているものを退治したことがあるのですが、幸い、その卵は破裂せずに済みました。まだそれほど育っていなかったのかもしれません。
と、ずいぶんと嫌悪する生き物に語ってしまいました。
このところ、愛ばかりを語っているような生活を送っているので、バランスをとる意味で書いてみましたが、もうできれば書きたく無いですね。
◆小食とダイエット/A-38 ― 2014年07月03日 19時22分09秒
前日の日記にも書きましたが、現在このlogの更新はかなり遅れています。
よって、その日のメールのやりとりなどを手がかりに書いています
この日は、出勤前にF原さんとお寿司を食べに来ました。急なことでしたが、それほど慌てる事もなく、良い時間を過ごせたと思います。お寿司を食べる前にも少し食べていたので、いくらか食べ過ぎた気がしましたが、仕事に支障はありませんでした。
最近、小食だと言われるようなことがありますが、自分ではまだまだ食べ過ぎだと考えています。だからといって意識的なダイエットをしていたりはしないのですが、そもそも登録販売者である以上、健康的な食生活というものには、一般の方よりも気を使っているつもりです。
とはいっても、ジャンクフードは好きですし、体調崩したときに誤魔化せる栄養剤や薬などを多く知ってもいるので、肝臓が疲れることは以外と多いかもしれません。お酒もタバコも飲みませんが、帰宅時間が遅いので、食べてから寝るまでの時間が短いこともままあります。
そういった自分に対して、ジャンクフード食べ過ぎじゃないか? 誤魔化す為にカロリーの高い栄養剤や薬を使い過ぎじゃないか? この時間には食べない方がいいんじゃないか? といった注意の意味で食べ過ぎだと考えています。
あとはそうですね、僕は本などを読みながら食べる事が多いので、よく噛まずに食べていることも多いかと思われます。
と、こんなことをlogに書いているのも、そういった自分への戒めなのです。小食かもしれませんが、考えるべきなのは、食べ方なのではないかと思うわけです。
よって、その日のメールのやりとりなどを手がかりに書いています
この日は、出勤前にF原さんとお寿司を食べに来ました。急なことでしたが、それほど慌てる事もなく、良い時間を過ごせたと思います。お寿司を食べる前にも少し食べていたので、いくらか食べ過ぎた気がしましたが、仕事に支障はありませんでした。
最近、小食だと言われるようなことがありますが、自分ではまだまだ食べ過ぎだと考えています。だからといって意識的なダイエットをしていたりはしないのですが、そもそも登録販売者である以上、健康的な食生活というものには、一般の方よりも気を使っているつもりです。
とはいっても、ジャンクフードは好きですし、体調崩したときに誤魔化せる栄養剤や薬などを多く知ってもいるので、肝臓が疲れることは以外と多いかもしれません。お酒もタバコも飲みませんが、帰宅時間が遅いので、食べてから寝るまでの時間が短いこともままあります。
そういった自分に対して、ジャンクフード食べ過ぎじゃないか? 誤魔化す為にカロリーの高い栄養剤や薬を使い過ぎじゃないか? この時間には食べない方がいいんじゃないか? といった注意の意味で食べ過ぎだと考えています。
あとはそうですね、僕は本などを読みながら食べる事が多いので、よく噛まずに食べていることも多いかと思われます。
と、こんなことをlogに書いているのも、そういった自分への戒めなのです。小食かもしれませんが、考えるべきなのは、食べ方なのではないかと思うわけです。










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