◆予想と理想/5022013年05月11日 23時33分13秒

 今日は雨が降っていました。
 明日は晴れる予報です。

 予想通り、GWが終わりそうになったあたりから、相談や報告みたいなものが、あちこちから届きました。予想よりは若干早かったですが、5月の終わりまでにか、つゆに入るまえに、もう一波あるかもしれません。
 去年1年、そういうことがある度に、logなどで時期と重ねて考えてみたりしてみただけでも、人の行動というものが、個の意志ではない、大きな流れの中にあるのを随分と感じます。
 当事者として近くで見ている時はバラバラにしか見えないものも、抽象化してみると似たような構造になっているのだなと、思わされます。
 と、前半も斑な考えな感じになってしまいました。
 さて、今日は「理想」について書きます。
 この言葉も「特別」と同じように、一般的な認識としての差はあまりないかと思います。
 「不況」だと言われている昨今の日本では「儚い」や「所詮」などと言われてしまう事のほうが多いのではないでしょうか。子供に「夢を持て」という構図は良く見かけるのに「理想を描け」と言うような話しは、なかなか見かけません。
 僕には前者が「夢でも見てろ」とまではいかないにしても「夢を見させてくれ」と言っているように思えます。
 理想という言葉には「理」という言葉が入っているからでしょうか、合理や理性、理屈といったイメージを感じるのは僕だけではないかと思います。なのできっと「そういうイメージは子供には似合わない」などと考え「夢」という、どこか曖昧でフワフワした言葉を選ぶのではないでしょうか。
 なので僕は夢を持ったり見たりするならば、そこから理想を描くこともしたほうがいいと、自分に言い聞かせています。甥っ子や姪っ子にも、隙あらばそう言ってみて、反応を確かめてみたいと企んでいます。
「見る」のと「描く」のと違いも、かなりのものですよね。

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